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第3634回数字選択式宝くじナンバーズ21日
【ナンバーズ3】 ストレート 444 84100円
【ナンバーズ4】 ストレート 9991 732500円
 
 
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 2002年3月8日における春の訪れが、黄砂と植物のにおいによってもたらされたという午後1時13分27秒、市立湯山小学校社会科準備室の窓枠に、埃と埃の間を埋める小さな水滴の形成が観測された。磨りガラスは午後1時半より始まる全校生徒による校内一斉清掃によって本日も開かれることになるのだが、それ以外は閉じられ、外との温度差は午後2時をピークとして日ごとに上下した。
 東校舎三階の端に設けられたこの部屋の清掃担当の生徒たちは、毎学期ランダムに選ばれた5年生と3年生と1年生の3人1組であると、1996年から2016年までの20年間ものあいだ定められてきた。2002年度三学期における清掃担当は、荒川裕司、青木慎二、山中徹の3人だった。彼らは、社会科準備室に置かれた70年前の機織り機や、河川氾濫以前の街の地図や、卒業生の残していった大量の学内紙を、箒片手に発掘しては元通りに片付けていくことに、毎日の清掃時間のすべてを費やしていた。そのため、たった2ヶ月半ほどしかない3学期の間に、窓枠には黴びたにおいと埃が積もり、空気の入れ替えのために毎日開かれるはずの窓もまた、3日に一度しか開かれることがなかった。
 彼らのような生徒があてがわれる度に、社会科準備室の物々にとっての季節は、毎学期欠かさず3週間は遅れていき、風化までの時間は、この部屋の外にあるとしたときと比べれば、ずいぶんと引き伸ばされたものだろう。
 床近くの棚に置かれた地球儀は、ところどころの塗装が剥がれ、大陸と海の境界線が読めず、傾き23.4度で回転しづらくなった状態のまま忘れられていたし、棚の奥には、地球儀を除けなければ顔を出すことのないくまのプーさんのぬいぐるみがあったが、彼もまた、外が春となった三月でも、いまだ昨年の2月の気温と乾燥にさらされていた。顔には茶色い染みができていた。触れば黄色や赤や茶の繊維の1本1本が抜け落ち、埃とともに舞い上がって喉に入り込んでくる。山中徹も初めて見つけた際には、抱き上げてすぐに咳き込んだ。顔をしかめつつ、もとあった地球儀の奥へとくまのプーさんのぬいぐるみは再び押し込まれたのだったが、あのとき、右手の中指に軽く触れはしたものの、意識には上らなかったこととして、ぬいぐるみの背中には、製品としてのものを装うように、1本の裂け目を手縫いで縫われた跡が残っていた。カッターを何度か布の表面に上下させると、背中はなんの抵抗もなく、やんわりと裂かれるのだろう。体の中の綿を右半身に、左半身にと指で寄せつつ、胴体中心部にできた空間へ、スイッチの入れられた5センチ四方の無線LANルーターひとつと、人間のものではない指、尖って黄土色の毛に覆われている指が隠され、背中は縫われる。指の断面は、座標計算で一息に引き離されたかのような垂直さを保っており、血は1滴も出ることがない。
 青木慎二は、くまのプーさんのぬいぐるみの存在を、山中徹が地球儀の奥から見つけ出した2002年1月当時に知ることがない。卒業式を迎えた2005年3月でさえ、社会科準備室にくまのプーさんのぬいぐるみがあるなどとは思いもしないのだが、くまのプーさんのぬいぐるみの背中を切り裂いたのは、紛れもない青木慎二だったはずだ。
 
 
 無線LANルーターは、湯山小学校東校舎の2階から4階、社会科準備室を中心として半径約6メートル範囲内を、2018年7月に至るまでネット回線に繋ぎ続ける。1955年に現在の場所に移されたこの学校も、戦後の画一的な建築様式に則って建てられた校舎の例に漏れず、定められた土地を最大限機能的に活用できるよう、左右非対称な作りをしていた。東校舎は単純な直方体である西校舎と違い、極端に底辺の短いL字の形となっていて、Lの頂点が西校舎と接続するのだったが、社会科準備室はLの底辺に並ぶ3つの部屋の内の真ん中に位置し、底辺の先端は図工室、直角部分に当たる部屋は算数の移動教室などで使う特別教室となっている。
 夏休みに入るちょうど一週間ほど前だったか、午後2時過ぎごろに局地的な嵐がやって来たことがあった。朝の天気予報では警告されていたのだが、昼休みが終わるまで雲一つ見当たらなかった。
 5時間目の算数の授業中、窓際の席に座る青木慎二は、手元の磨りガラス越しに外の曇りを見た。モザイク状の光が黒でも白でもないなだらかな色にまで抜き取られ、風が学校の目の前にある山より遥かに高い標高で、甲高く摺りあわせられていた。
 黒板に巨大な三角定規をあてようとする先生の目に触れないよう、そっと手元の磨りガラスの窓を開けてみた。
 窓からは、金属とゴムを密着させ、わずかずつ斜めに滑らせたかのような音が響いた。予想以上の大きさに、驚いて教室を見渡すと、先生以外のすべての生徒の顔が、一斉にこちらを見ていた。
 慌ててみんなの視線の先、磨りガラスの窓の開いた僅かな隙間を覗いた。
 外は嵐だった。右から左へとスライドする風が、雲の上から校舎の真横の高さにまで降下し、山が木々とともにゆらりゆらりと震え、雨は地面と並行な角度で教室の内側へねじ込まれると、机の上の算数のノートに書かれた直角二等辺三角形を、自らの面積を示すふやけた数式と交わらせた。
 教室がざわめいていた。大雨が降っていることに気づいた生徒たちの興奮ではなかった。ひとりひとりの生徒にはそういった興奮ばかりが満ちていたのだが、32人のクラスメイトが形成するざわめきは、それとは真逆なえづきをあらわしているようだった。
 5秒後、全員が気づいたことには、窓が開いた瞬間、つまり先生が3つの合同な三角形を黒板に描いたあと、先生は教卓の上に三角定規を置き、なにも言わずに教室を飛び出していった。廊下をひた走る足音と、引き扉の閉まる衝突音の、両方が鳴り渡った。
 追いかけていいのか、それとも教科書を読んでいるべきなのか。机の中には今日授業のある国語、社会、理科、算数と、一通りの科目が揃っていた。左右前後の友だちをうかがうが、判断を仰ぐべき先生の目はなかった。
 3人ほどがノートの端にカエルやトマトの落書きを始めたころ、折り紙が得意だった中田彰吾が、彼には珍しく、先陣を切って教室から飛び出した。それに続いて、有馬利裕、舘脇彩音、井上翔の3人が駆け出し、30秒後には、生徒全員が教室からいなくなっていた。
 廊下を、先生を遠い先頭にして走る子どもたちの長々とした列がなぞった。中田彰吾はあっという間に10人の子どもに追い抜かれ、舘脇彩音はネズミのように走って生徒の中では一番になった。さすがに先生はどんな子どもたちよりも足が速かった。山村隆が階段でころんだ。鼻血が出てTシャツは血まみれになった。学級委員長の花村早苗が――大丈夫? と声をかけたものの、山村隆はよく鼻血が出る子どもだった。
 2年生の教室の前の廊下を3年生たちがぞろぞろと走った。2年生たちは廊下を走る人々の磨りガラス越しにぼやけた姿、色合い、息を切らしながら口にする言葉のいくつもに目を奪われたが、三つあるクラスのどの先生も、静かに教科書を読むよう、黒板をチョークでカツカツと鳴らした。
 5時間目もあと15分になったとき、先生が図工室にあらわれ、風速はこの日の最大を示した。
 遅れて追いついた舘脇彩音が、図工室の入り口で息を切らし立ち止まっていた先生の肩越しに見たのは、窓から吹きこむ雨風と、折れた枝や分厚い緑葉、持ち主の卒業した古いパレットの数々に、木製の椅子の表面が砂絵のように濡れ泡立つ姿、そしてそれら外から内へと雪崩れていく動きに逆らうかのように、図工室から校舎の外へと吸い込まれ飛んでいく、1枚の絵だった。
 
 
 あの日、3時間目の図工の時間に、3年2組の生徒たちは蝶々の絵を描いていたのだった。モンシロチョウやアゲハチョウなどといった模範的な蝶々ではなく、子どもたちの想像する、赤やうずまきや三角形やバツやツノの生えた蝶々を形にしてもらった。構図はどれも上から見られた標本的なものばかりで、それは手本として掲げられた教科書内の作品がどれもそうだったためかもしれないが、片羽しかない蝶々も、羽を閉じて蜜を吸う蝶々もいなかった。
 8本の足を胴体と羽に重ね書きするように与えられた蝶々は何匹か見受けられた。一部の生徒たちの間で、蝶々には8本の足があるという話が広まったのだろう。
 先生は、窓際にある乾燥棚に絵を干すように言った。クレパスだけで描いているのならば問題ないが、絵の具であるなら1枚1枚を重ねずに置き、乾かす必要がある。湯山小学校の図工室にある乾燥棚は、金属の棒でできた骨格のような引き出しを引くのではなく上にあげ、絵を置き、また元のように下ろして使うタイプのものだった。窓際におかれた棚の一番上に置かれた絵が飛ばされたのだろうか。少なくとも舘脇彩音の絵でないのは確かだった。一瞬見えた画用紙の片面に描かれた配色も模様も似つかなかった。しかし一番上に置かれた絵でもない、飛んで行ったのは舘脇彩音の2つ下の段に干していた、黒井龍介のものだった。
 先生は、絵がすぐに乾くよう窓を開けたまま、4時間目の社会科の授業のため3年2組の教室に向かったのだった。嵐がやって来ると、図工室は空気の流れが歪み、机の上に忘れられていた2B、HB、HBの鉛筆が、ころころと、0.5秒おきに別々の場所から3本続けて床に落ちた。図工室は五時間目にはどの学年にも使われていなかった。
 窓を閉める人もいないなら、よかれと思い開けた窓が、目の前で三角形を律儀にノートに書き込んでいる生徒たちの絵を1枚残らず濡らしてしまうだろう。そのことに気づいた先生の目の前で、黒井龍介の絵は屋上に舞い上がり、どこにも着地することなく校舎を越え、くぐった窓とは反対側の窓の中に小さく覗かれたあと、校舎の裏手の川に落ちた、少なくともそれは事実だ。黒井龍介は蝶々の絵を完成させずとも図工の評価で3段階中の〈3〉をもらうことになったのだから。
 でも、本当にわたしは飛んで行ったその瞬間を見たのだろうか。それとも後から作り出した映像なのだろうか? 久しぶりの実家で、押入れに片付けられていた蝶々の絵を見つけた舘脇彩音は、暴風に翻りながら飛んでいく黒井龍介の絵を、目の前にある自分の描いた蝶々の絵よりもはるかに生々しく思い出し、そのあまりの鮮明さによって、どちらかが現実であるなら、もう一方は、それとは別の種類の出来事であるとしか思えなくなっていた。
 自分の絵を描いた記憶が、飛んでいく黒井龍介の絵に対するものと比べて、どれだけ弱々しくとも、目の前に実際に存在している14年前の絵によれば、幼い彼女は蝶々の羽に海を描こうとしていたのは間違いない。舘脇彩音の中にも、青い海に青いくじらが泳げば水面の波打に沈んでしまうと思い、魚は赤色、亀は緑色、くじらはピンク色として塗った覚えはある。けれどもそれは、どこか自分ではない、いつか見た映画の話ではないのか、その感覚も拭えないのだった。
 なによりあの時以来、くじらの絵を描いた覚えがなかった。いや、それだけでなく、くじらについて考えたことさえなかったのかもしれない。画用紙の裏を見ると、〈3年2組 舘脇彩音〉と記されていた。
 この筆跡は、誰のものだろう。
 ――ねえ、なにしてるの。出かけるわよ
 1階から呼ぶ母親の声に返事をし、絵を押入れの中に片付ける。
 
 
 その日、舘脇彩音は、妹も含めた家族4人で夕食を食べに行くことになっていた。
 来週から始まる社会人生活、教師として母校の小学校に赴任する娘のための祝いの会として、父親は、平日にも関わらず仕事を昼過ぎに切り上げて帰宅し、母親は、友人同士で何度か行ったことのある和食料理店の予約を三日前からしていた。
 地下1階の入り口から店に入ると薄暗く、廊下は地下2階を見下ろせる吹き抜けと面していて、階段を降りたそこにカウンターやテーブルが並べられ、落ち着いた雰囲気を演出する。店員の動きも機敏だ。料理もおいしい。地元の食材をふんだんに使用している。こんな店が東京でなく四国の地方都市にあるなんて。東京からもどってきたばかりの娘がiPhoneで検索した店のホームページに驚いているのを見て、車を運転しながら有料駐車場を探す父親が、ここは東京で言うところの新宿の飲屋街だからなあ、と満足気に言ったものだ。
 午後7時5分、舘脇一家は廊下の奥にある、予約客用の個室に通された。
 店員に案内されながら進む家族の最後尾にいた妹は、ふいに立ち止まり、ゴム製のアルパカのキーホルダーのついたスマートフォンで、廊下から見下ろせる地下2階を写真に撮っていた。シャッター音は、小さく流れるジャズのような音楽と、平日にしては多く入った客たちの話し声でかき消され、前を歩く両親にも姉にも聞こえなかった。個室はこの店ではゆいいつ地下1階にあったので、階段を降りて地下2階に行く必要はなかったが、トイレは男女どちらも地下2階にあるようだった。
 ――この前、お母さんが洗濯物を干してたら、地面からカマキリが出てきたんだって。お姉ちゃん聞いた?
 店員が最初のドリンクの注文を受け、個室から出ていくと、さっそく父親が食事のメニューをめくりながら笑っている。
 ――見間違いだろう、そんな。
 ――いや、ほんとにいたらしいんだって! ね、お母さん
 ――お父さん、今日はコース料理よ?
 父親は、わかってる、わかってる、と頷きながら、メニューをさらにめくり、ははあ、和食の串揚げか、と言った。妹も2冊あるメニューのうちの1冊を手に取ったが、数ページを眺めただけで、すぐに閉じてしまった。
 ――ほら、カマキリじゃないんだよ。地面から出てくるなんて、そんな、ゾンビじゃあるまいし。お父さんはね、昔から昆虫が好きなんだ
 ――そうねえ、けっこう茶色だったから……
 ――カマキリは昆虫じゃないでしょ。え、昆虫なの?
 妹は昨年の12月に20歳になっていたため、黄色いカクテルを握っていたが、ほとんど口をつけずにいた。父親の代わりに帰りの車を運転する母親が飲んでいないのは見慣れた光景だったが、妹がアルコールを手にしているのは未だに慣れなかった。ほんの少し顔が赤くなったような気がした。父親は、とりあえず注文した生ビールを空にした後、グラスの赤ワインを飲んでいた。〈当店自慢の自然派赤ワイン〉という触れ込みで、ドリンクメニュー内でも別格の扱いを受けていたそれは、コース料理として目の前に並べられた鰹のたたきやきのこの和え物などといった和食にもあう味が、多くの客から支持されていた。
 ――でも、もぐらとかの方がありえないでしょ
 話題は再開発計画が遅々として進まないJR駅前の目も当てられない閑散さや、数日前に火星から送られてきたという謎の電波へのSF映画的な憶測、春の甲子園決勝で惜しくも敗れた地元高校のエースピッチャーと、それに秋の大会で完敗した妹の通っていた高校の野球部について触れ、吹奏楽部だった妹の解説――吹奏楽部からしたら、自分たちの大会のためにも野球部にはなるべく早く負けて欲しい――が端的に述べられた。妹は3年前の夏、甲子園にあと一歩で届かなかった野球部の外野手に告白され、3週間だけ付き合ったが、家族からすればいつのまにか別れていたらしい。
 祝いの会は、手羽先やざるうどんなどを前に盛り上がった後、よりにもよって湯山小の先生だなんてね! という、市内の国立大学商学部に通う妹からの激励があり、部活の顧問が嫌で高校2年生の夏に部活をやめたけれどそれは正解だった、という家族内で何度交わされたかわからない母親の苦労話に行きついたところで、お開きとなった。父親は、あれからずっと日本酒を片手にカマキリについてスマートフォンで検索していたようだった。半年前にようやく機種変更をしたらしい。舘脇彩音はデザートの抹茶アイスが昔から苦手だったので、妹にあげると、心の底から喜ばれ、希望に満ちた新生活の日々が開けた気がした。
 ――また運動場に変な小屋みたいなのができてたよ。がんばってね
 
 
 新任の舘脇先生は、28歳の男性教師が指導教員として割り当てられ、さっそく3年2組のクラス担任を務めることになっていた。今や、10年以上の経験を持つベテラン教師は全体の割合からして3割にも満たない時代であり、数日前まで学生気分だった若者が、 平均して25人にも及ぶ生徒全員の学習指導や生活指導の責任を負い、子どもらだけでなく、彼らの親たちとも良好な関係を取り結ばなければならなかった。
 高校卒業と同時に上京した、しかも中学受験をして地元では名高い進学校に通ってしまった姉とは違い、妹の舘脇佑香は、小学校、中学校、高校、そして大学にわたり、それぞれの時代の友人と交流が途切れることはなく、SNSやメールはもちろん、直接会って遊ぶことさえあった。地方では若者が遊ぶと言っても、金銭を賭けたボーリングや、映画や、カラオケくらいしかないというが、それでも東京に憧れつつ、地方民として多くの人々が安心と適度な満足を得ているのかもしれない。
 そうしたこともあってか、妹の中学時代の友人の弟や妹が、まだ小学校に通っている、ということも珍しくはなく、3年2組の生徒の中には、酒井真と田中詩織という2人の子どもがいた。彼らは、どちらも10歳以上歳の離れた姉や兄を持つ、少子化の当時では珍しい境遇だったのだが、舘脇彩音にも舘脇佑香にも気づかれないままでいた。
 生徒たちからすれば、夏休みと比べたった2週間しかない春休みを終え、わずかばかりの気まずさと、新しいクラスや新しい担任に落ちつかない最中で友だちと会う学校だが、舘脇彩音にとっては11年ぶりにもなり、母校は基本的な雰囲気に変わりはないものの、相次ぐ巨大な震災による耐震工事の徹底や、LEDに取り替えられた廊下の照明の明るさ、老朽化した体育館の外壁が塗り替えられていたり、昔からほとんど誰も遊ぼうとしなかった砂場が埋め立てられ、体育用具を片付けるためのプレハブ倉庫が建てられたりしている。子どもたちもなにかしら時代の変化を被っているのではないか。いじめ、反抗期、学級崩壊、モンスターペアレント……教師としての様々な不安が、教員採用試験の問題集を解いていたころから拭えない。
 一方で、酒井真も田中詩織も、その仲の良い友人に上げられるだろう岡村健太や村上あやも、みんな20年前より変わらない子どもらしさと、問題を抱えている、そんな楽観も捨てきれずにた。
 なんにせよ、まずは名前を覚える必要があるだろう。3年2組には、箕浦光雄や桃原和史といった名前ならまだしも、井上や田中や荒川といった、かつての友人と同じ名前がいくつも見うけられ、4年ぶりに実家の自分の部屋で暮らす新任教師を、22もの名前と顔の並べられたプリントに、新年度が始まってからも毎晩、数時間ものあいだ縛り付けることになっていた。
 13歳のころから飼育していたミドリガメのドリーも、上京中は父親が世話を任されていたものの、じっと水槽から見守ってくれている。
 
 
 ――そんなに気を張って取り組む必要もないからね
 始業式の前日、奥山先生は定刻を過ぎた時計に視線が向かわないよう気を遣う新人の前で、そろそろ帰宅の準備に取り掛かろうとしながら言うのだった。指導教員としては不適切な言葉かと思われるかもしれないが、話されているのは舘脇先生がふと漏らしたつぶやきへの応答だった。
 ――算数の問題って、教科書通りだとまずいですよね
 たかしくんをまりえちゃんに、8つのりんごを12個の消しゴムに。高校や中学校の教師とは違い、各々の専門分野に限った授業計画をたてられるわけでもない小学校教師は、いくら運動神経が悪くとも、跳び箱を美しく跳び、リレーのバトンを効率よく渡し、縄跳びは二重飛びのコツを知らなければならない。音楽ならリコーダーを練習する。昼休みに体育館でのドッチボールに誘われることも想定される。低学年までならそこまで高度な分野に及ぶ心配はないが、地方のさらに地方に住むような立場におかれた小学1、2年生は、マスクをつけながら、片道2キロを超える登下校の道のりを、6年生の2倍ほどの時間をかけて日々こなさなければ家にはたどりつけない。リコーダーならランドセルに差しておけば重みを感じないが、鍵盤ハーモニカは振り回すと武器にもなりえる荷物だ。卒業時には6年分の手荒さが、白い交錯として、青くぶつぶつとした手触りのケースに余すことなく蓄積されている。そんな様子を見て母親は、息子や娘の誕生日に抱いた感慨とは別種の心地がする。
 ――この子を産んで12年か
 ――入学式が昨日のようだ
 なかば苛立ちに近い。同様の心境に至るには、卒業生たちもせめて20歳をむかえることが求められる。あんな苦痛、こんな苦痛。わけもわからず1つの漢字を百個書き並べた国語の宿題や、台風がやって来てもかろうじて休みにならなかった暴風波浪注意報の水曜日、学年の少なくとも誰か1人が代わる代わるいじめられた6年間も、今ではとても感謝すべき体験かもしれない……はたして何人が思えるだろう? なるべく数を増やしたい、10数年後にはみんなで同窓会に呼んでもらいたい。テレビドラマなど見なくなった若者世代でさえ、先生の大半はそうやって類型的な感動の姿を夢見て、教員免許を獲得したものだった。
 舘脇彩音の担当する3年2組の学年は、入学当初から大きな問題を抱えることなく、教員たちの評価も安定している。心置きなく、始業式を終えた3年2組の人々の前で、黒板に大きく自分の名前を書くことができる。
 ――少し漢字が難しいですが、みなさんと楽しく一年間を過ごせたらと思います
 教師という職業を選んだ者にとって、何度この瞬間を感慨深く反芻したものか。新しい、それも別の学校から転勤してきた先生ではなく、1年目の、まだ23歳でしかない今どきの若者が担任であるとは、噂好きの親たちの緊密な交流によって生徒にも知らず知らずのうちに伝わっていくが、まだ九歳。多くはまだ8歳の彼らにとって、40歳も、23歳も、大人であることに変わりがない。
 とはいえ、やはり2年生と3年生では成熟度合いに大きな差がありもする。2016年度に関しても、生まれた年、つまり2008年と2007年――と言うと「もうそんな年か」と誰もが諦めがちにため息をつくのだが――その違いは全国の総生徒数に着目しただけでも、38万人と90万人。彼らはもはや同じ小学生とは言えないほどだろう。さまざまな年代の先生が子どもたちの目を通して大人として一律化されるのに伴い、親たちにはあった
 ――まだ若いから
 ――まだ1年目だから
 などという評価基準の優位さは消滅した。
 
 
 1年生から5年生にとっては年間201日にまで及ぶ登校日、そのほとんどにおいて、給食の片付けが終わり、歯磨きを済ませれば、学校はようやく昼休みになる。午後1時から1時半までの30分間、昼休みが終わるとまた全校生徒による一斉清掃が行われてしまうため、それまでに、生徒たちは外で遊ぶ者もいれば、図書館に向かう者もいる。給食を残さず食べるために昼休み中もスプーンを握らされる生徒は、ここ20年ほど目にしていない。
 運動場は在校生徒数で考えれば適切だろうが、1学年で300人を超えることもある都内のマンモス校と比べれば、比較的小さくも感じられる。上級生が運動場を優先して利用する傾向はあったものの、定められた面積を要するボール遊び、ドッチボールやハンドボールなどは6年生ともなると飽きられてしまい、もっと単純で、かつ複雑な戦略を駆使しうる遊び、例えばどろけいなどが流行する。
 一方で、5年生と4年生は、クラスで毎日くじ引きによるチーム分けが行われるくらい、ボール遊びが盛んとなる。彼らに追いやられて運動場のわずかな隙間しか許されていない3年生以下は、主に教室で遊ぶか、校舎内の広場で遊ぶか、もしくは校舎裏などで昼休みを過ごすことを強いられる。
 このような環境下、主に3年生の女子は、天候に関わらず、教室内で折り紙でも折っているのだろうと推測されるかもしれないが、10歳程度では性差はあまり目立つことなく、むしろ中学校進学と同時に一律に洗脳されたかのようにそれぞれの役割をこなし始める。3年2組では、雨の日ならば校舎内で、晴れの日ならば運動場の端で、かくれんぼが楽しまれ、放課後は、地域の公園で缶蹴りをしているところがよく観察される。いじめなどの兆候もなく、「みんなでなかよく遊ぼう」という、一学期を通して掲げられたクラス目標はしっかりと実践されている感がある。
 とりわけ、古谷葵と辺見玲奈はいつも二人でいるようである。このクラスの担任になって1ヶ月、ここまで仲のいい2人組は他に知らない。ほとんどの子どもがまだ、少なくとも4人ほどの友人となだらかな関係性を築くか、もしくは分け隔てなくその日ごとにいる同年代の子どもと遊ぶか、そのどちらかだった中、彼女ら二人は体育の授業中も、放課後も、生徒たちから聞いた話では休日の外出先でさえ、いっしょにいるらしい。
 登下校班が1年生の頃から同じであったこと、親同士が親しいこと、そしてなにより幼稚園入園当初から小学校3年生に至るまで一度たりとも別のクラスに分かれたことがなかったという、その事実が大きく影響していたのだろうとは考えられるものの、同年代の友人たちはおろか親や教師すらも認めるところの奇妙な能力の共有が、当人らを他の女の子や男の子とは違う、特別な2人組であると信じさせるのに十分なものでもあった。
 おにごっこやドッチボールはもちろんのこと、かくれんぼであっても、2人は1組として見なされていた。どちらかが見つかれば、2人を見つけたことになる。そのぶん鬼として探すのは2手に分かれて行うのかと言えば、そうではなく、2人して手をつなぎみんなを探した。あまりにも効率が悪いようだが、古谷葵と辺見玲奈は、鬼として100秒を早口で数えた後、隠れている子どもたちのもとを最短距離で結ぶように歩んで行く。まるで2人が歩いて行った先に子どもたちが隠れているかのような迷いのなさで。
 2人は同じ場所に隠れようとした。鬼になることを半ば楽しんでもいるのか、2人で隠れることさえできればすぐに見つかる場所でも満足していた。鬼になる頻繁さから、彼女らの能力による有利さに文句を付ける子どもはいなかったようだが、時として古谷葵と辺見玲奈は、いい隠れ場所に出会ってみようかという気まぐれを起こしもする。
 例えば、運動場の隅、申し訳程度に設けられたトタン屋根の下に、教室で使われなくなった机や黒板消しが捨てられている場所。そこで、扉のないカラーボックスのような形をしたロッカーを見つけてみる。古谷葵と辺見玲奈は、2人で上下にわかれ、隠れることができる。ロッカーは2人の体にちょうどよく作られていて、居心地がとてもいい。
 しばらくして、誰かが歩いてきた。鬼かと思い、息を潜める。2人の視界に映った姿は、鬼にしては明らかに大きく、足元しか見えない。
 その人物は、2人の前を通り過ぎ、ゴミ捨て場の裏で立ち止まると、突然、ひどく抑揚の強いなまこのような声、それも特急列車ほどの速さで話しはじめる。携帯電話なのか、相手の声は聞こえない。外国人、それも最近テレビでよく見る拉致の人かもしれない。この学校に爆弾でも仕掛けるつもりなのかもしれない。15分もの間、体感としてはもっと長い間、男は話し続け、古谷葵と辺見玲奈は身動き1つできない。
 ようやくどこかへ去って行ったあとも、古谷葵と辺見玲奈は隠れたまま、2人がロッカーから顔だけを出して互いを確認したのは、昼休みの終わる五分前を知らせる予鈴が聞こえたときになる。2人の声を聞きつけ、鬼がやって来る。
 ――いま、人攫いのひとがすぐそこにいた、すごく話してた。もう家に帰った方がいいかもしれない、と早口に2人重ねて鬼に伝える。鬼はまるで1つに聞こえるその2つの声が、なぜかうまく聞き取れず、苛立ちながら――なに、なんなの、さっきここにいた人?
 ――そう、そう
 ――たぶん、奥山先生がいたと思うけれど
 
 
 夏休みまで残り1ヶ月となった7月、舘脇彩音は表向きには自分が彼らくらいの年齢だった時の最良の記憶、それに類する教師生徒間関係を築けたかと思われたが、しかし油断してはならないと、奥山先生はアドバイスする。
 たとえば3年生以上の多くの学年では、電子機器、主にスマートフォンや携帯ゲーム機が、6月ごろから校則違反の教室によく持ち込まれるようになる。ネットワーク接続からアプリのダウンロード、さらには脱獄と呼ばれる違法改造まで難なくこなす者もいる。一時は画面拡大の傾向を見せたとはいえ、これまでにないほどの軽量化、小型化を押し進めている携帯端末は、必然的に、学校側の警戒を促し、腕時計型の商品の発表時など、まず脳裏に浮かぶのは憂鬱さとなる。もちろん、舘脇先生もその点は承知しているのだろうが――なにせ彼女は去年までは多くの学生の1人だったのだから、プライベートな話なので断定はできないが、若者の誰もがゲームくらいはしているのではないか。
 公園でも、スーパーでも、公共交通機関でも。国土の4割、東京に限れば九割の面積で公衆無線LANの配備されたことが、電子機器全般のオンライン化を決定的なものにした。都市機能をより柔軟に例外的事態に対応させる、7年がかりの都市計画の一環として行われたそれは、あまり知られてはいないものの、2008年2月25日に生じた携帯電話会社各社に対しての大規模通信妨害事件をきっかけに積極的な検討が行われたと言われている。電波が危険なものだと考える一部の人々にとっては、自分の子どもへの教育も空回りにならざるをえない。いかに電子レンジが使用者に癌を植えつけるか、携帯電話が脳を破壊するか、相応に因果関係を伝えはするものの、子どもたちが年齢を重ねて信じ続けるには、親たちの生活は電波が飛び交いすぎ、子ども同士の遊びには、物語の自然淘汰が露骨に反映されている。
虫捕りひとつ取ってみても、図鑑はネット上にあり、カメラを通したアプリケーションが画像に分類名を添える思考の動きが、裸眼で草むらを歩くなかに重なって映るだろう。各々の持ち寄ったカブトムシとクワガタムシが目の前で戦う様子は、すでに派手な効果音と体力バー、さらには勝者に与えられる経験値やアイテムに彩られており、発想だけでなく、自分そのものが遅延することを身に染みて理解しているがゆえに、親にゲームを与えてもらえない子どもたちは立場が低くなることを、なにより当人が疑わない。
たとえば君のクラスに市村克彦という生徒がいると思うが、彼などは、友達にゲームを貸してもらうためのあらゆる手段を講じていた小学五年生のころの自分を思い出し、今考えれば中学受験を控えた子を持つ親の気持ちもわからないでもないな、などと感慨深げな表情を浮かべるだろう。両親は塾への送り迎えを厭わずしてくれた。授業料も必死に稼いでくれた。今の職業につけているのはあのころの努力があったからだ。嫌だ嫌だと言っていたぼくは幼かった。自分の子どもにも精一杯のことをしてやろう――将来は息子からそんな風に感謝される親になるのだと信じている。その分、市村克彦がクラスで受けていた扱いに気づけなかったとも言えるだろう。
 彼にゲームを貸すのは1年生の頃から親しい向井洞士の役目となる。向井洞士は同じ5年2組の田越直哉、荒川裕司とよく遊んでいる。市村克彦も、初めて同じクラスになった二人と放課後に集まってそれぞれの家に伺わせてもらう、そんな恵まれた環境に置かれる。
 5年2組の担任に選ばれた佐藤千恵は、早熟な生徒の何人かに見られる反抗期に、事を荒立てる事なく1年をやり過ごせるよう対応する、その緩急の付け方を教師生活25年の間に身につけている。その年も4人の生徒が学校に電子端末を持ち込んでいることを知りながらも、直接指導するでもなく、他の生徒に広まらないよう軽い注意を加えるだけで済ませるだろう。図工室での授業にしても、携帯端末を貸してもらうために、市村克彦が他の3人の水入れに水を入れていた。荒川裕司は昨日からずっと上がっている話題について、一貫して気乗りがしない様子でいた。
 ――そういうの、ネットでいくらでも見たことあるぜ
 湯山小学校ではかつて20年ほど前に女の子がいじめで自殺したことがある。その霊が弔われることなく今も自殺場所の体育館倉庫内を漂っている。向井洞士は本当らしく話すが、そんな話は今まで聞いたことがなかった。戦争で亡くなった校長先生と生徒8人が深夜の校庭を行進しているとか、大雨の日には裏手の川から何百本もの腕が振られるとか、校庭には何かが埋まっているとか、湯山小学校にまつわる噂は創立145周年を誇るにふさわしいバリエーションを見せていることは、ここに3年も勤めている教師なら誰でも知っているだろう。
 ――いや、マジらしいんだって。俺の母さんが言ってたんだよ。同級生だったらしい
 ――じゃあ、お前の母さんはいじめてたのかよ
 ――知らねえよバカ。そんなことはどうでもいいから、要は映るかどうかだ。明日、やろうぜ。塾とかないだろ?
 ――明日はムリ
 ――じゃあ月曜な
 向井洞士と荒川裕司に挟まれるようにして座る田越直哉は、二人の会話を聞きながら、机の下のiPhoneを操作し、3日後に迫った姉の誕生日のプレゼントを探している。いつもの教室なら届くはずの電波が、なかなか届きづらい。市村克彦が帰ってくる。水入れにはあふれそうなくらいの水が波打っている。彼なりの嫌がらせだろうか。3人の水を用意し終わり、ようやく自分の水入れを持って流し場に向かう市村克彦の背後で、田越直哉が、あれ、とため息に近い声を漏らす。
 ――学校も無線LAN、通ってるんじゃん
 
 
 こうしてわかる通り、無線LANに接続できるということが基本となり、WiFi電波状況によって端末の位置情報が計算されるインフラさえも整備されている時代、そのきっかけとなったあの通信妨害事件を、10年後の今でも覚えている者は、子どもたちに限らず少なくなってしまっているとして、その理由を、たった2日後の2月29日に知れ渡る世界規模の出来事によるものだと考えてみてもいい。
 当日の朝刊の時点では、母乳を与えられた新生児の突然死という小さな医療関連記事の扱いだったのが、正午を回ったあたりから瞬く間に死者数が増え、例外的異変ではなく大域的現象なのだと理解された夕方ごろには、すでに放送各局で矢継ぎ早に緊急報道番組が組まれ、全国各地の産婦人科にカメラが殺到するほどの事態。
 食物がもたらした異常のようだという、ソースの不確かな報道が連鎖的に広まれば、その日の夕食を終えてしまった人々も、未だ夕食にありつけていなかった人々も、手を止め、明日の食料確保に役立つ情報の選別にこれから自分たちは駆り立てられることになるのだと、まるで現実味もないまま受け止めるだろう。
 事態の原因を加工食品全般に混入された毒素によるものだと確信した人々も、国によらず多く見られるはずだが、発展途上国からの輸入品がもたらす農薬や不衛生が警告され、牛肉を食べた人々の脳がスポンジ状になり、空港は厳重警戒体制のまま今も遠方の地域では戦争が続いている、そんな映像が連日放送される状態にしては、パニックによる死者は予想されたほど多くはない。なにより1ヶ月後発表される国連公式見解は、人々の穏やかな将来設計を打ち崩すに余りある内容となっている。
 この現象による死者は、2月28日以降に生まれたすべての胎児、または新生児であり、胎児は母胎内で、新生児は母乳を口に含んだ数十分後に、それぞれ極度のアナフィラキシーショックを発症し、死亡した。遺伝子異常が、その主たる原因とされる。免疫器官だけでなく、全身の遺伝子が、それも人間はおろか哺乳類全般との一致すらも計れないほどに別種となり、再構成されていた。異常は日本時間の2008年2月28日午前11時ごろより徐々にあらわれ始め、29日の正午にはピークに達したが、3月1日午前零時以降に人工授精された受精卵には、遺伝子異常がまったく見られなくなっていた。それゆえ、ひとまず事態は収束に向かっており、遺伝子変化の原因と対策を講じることが、今後の活動の中心になると言える。
 そのような建前ばかりの研究者らの言葉の裏で、公表して収拾がつかなくなるのを恐れた各国首脳らがひとまず極秘として扱った文書が存在しているのではないかという噂もネット上では囁かれていた。それによれば、遺伝子異常は該当する期間内に母胎にいた胎児や新生児らを除くすべての生物、人間も動物も植物も例外なく、遺伝子が書き換わっていたとされている。つまり、胎児の遺伝子も、新生児の遺伝子も、なんら変化など被っていなかったがゆえに大量死が発生し、一方で、3月1日以降に受精した胎児は、以後の生物としての遺伝子を持っていたがゆえに、何の問題もなく生存したということになる。
 これまで研究され蓄積されてきたあらゆる遺伝子情報のデータは、もはや過去の遺物と見なさざるを得ず、それは新薬開発など、重要な産業ががほとんど完全に停止してしまうことを意味するが、かろうじて残された希望として、遺伝情報はまるで暗号化されたかのように一定の法則性を保っていることも噂の中では示唆される。変換コードさえ見つかれば、事態は大きく改善されるかもしれない。しかし、解読には最新型のスーパーコンピュータでも到底及ばないほどに膨大な量の計算を行う必要があり、それこそ量子力学コンピュータが不意に実現するなどといったようなことがなければ、事態の好転は難しいだろう。ゆえに、10年後の2018年7月13日までに打開策が見つからない場合は、隠し通すのは逆に不利益を生むとして、正式に事実が公表される予定となる。
 
 
 そのころ、奥山先生は東校舎3階の端に並ぶ三つの教室――図工室、社会科準備室、特別教室――周辺の掃除を監督している。1年生から6年生まで、22人の動きを追わなければならないため、曜日ごとに重点的に指導する場所を変えるとはいえ、12人の生徒が配属された図工室に費やす時間は多くなっていく。
 社会科準備室では真面目に掃除が行われているようだ。古谷葵を含めた3人の生徒がどれも女子生徒なのは実に5年半ぶりのこととなる。3年生から1人、1年生から1人、5年生から1人と、そのルールを変える理由など、少なくとも学校側には見当たらない。
 ――でも、本当に宇宙人なんだってば
 先生に聞かれないよう、小さな声で、箒を動かしつつ、古谷葵が話している。
 ――どんな声?
 ――わけわかんない声
 ――なにそれ。だいたいアブダクションってなに?
 掃除の時間は毎日15分間となっている。「G線上のアリア」が流れると、ようやく片付けを始められる。班長として選ばれた上級生が、下級生らを集め、その日の反省点をあげさせる。ほとんどの場合、「特にありません」という意見で一致を見せ、彼らは5時間目、もしくは下校の準備のために、それぞれの教室へ向かう。
 ――拉致みたいなことでしょ。テレビでよく言ってる
 ――いや、だってお前、拉致とか、ずっと昔の話だぜ
 校舎全体に満遍なく散らばった人々が、ゆっくりと特定の場所に集まっていく。
 ざわめきも収まり、チャイムは午後1時45分を告げる。
 ――それに、やるとしたらもっと都会だろうし、なんで人間に変装してるの
 誰もいない社会科準備室に、男の子たちの笑い声が反響する。
 ――でも、じゃあ先生って……
 ――訛りじゃない?
 それ以来、ぴたりと声を出すのをやめる。
 
 
 翌日、舘脇佑香の携帯電話に、見覚えのない番号から電話があった。
 本来なら心理学の授業を受けている時間だったが、その日は親友の金子愛菜に誘われ、電車で海に向かおうとしていた。平日の昼間に街を歩いていれば、その幼さから、すぐに補導されてしまうかもしれない。7月ともあって、駅は日陰でさえ30度を超え、例年に引き続き猛暑が予想されていた。
 ――もしもし
 通話が始まってすぐに、ブツ、ブツ、と2度、電波の途切れる音がした。
 それから、知らない男の声が、布を被せたような低音で聞こえた。
 ――舘脇さんですか
 ――そうですけれど
 ――今、いつですか
 ――は?
 ――何年何月ですか。2008年?
 ――いや、18年ですけれど
 そこで電話は切られた。
 
 
 ほぼ同時刻、国語の授業をしていた舘脇彩音の携帯電話にも、舘脇佑香にかかってきたのと同じ番号から着信があったが、鞄の中でサイレントモードに設定されている画面には、連絡先アプリのデータを元に選択された名前が、72秒ものあいだ光り続ける。
 
 
 
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