ニューワイド歴史学
 
 
 神さまの子どものコンタクトレンズは、片方がすこしおかしかった。どこにもいない車にびっくりしたり、空を飛ぶピンク色の風船にがんばって手を伸ばして捕まえようとしたり、運動場を歩いていると急に石もなにもない、あるとすればぺちゃんこに潰れたカマキリにつまずいて転んで大泣きしたり、そんなふうに生まれてずっと目が悪いような仕草をしていた。幼稚園からの帰り道に母親が目医者につれて行った。スーパーでもらう袋のような制服を着たナースがたくさん群がってきて、三つ並んだ古めかしいイスのまんなかに座らせられ、視力検査を受けた。近くの黒丸と遠くの黒丸が上から下までぎっしりと敷き詰められた視力検査板の黒丸を、ひとつずつ点灯させるナースたちに、右も左もまだ知らない神さまの子どもは、思うところを指で指ししめすけれど、ナースたちの顔は微笑んだりしかめっつらになったりした。視力検査板の上にあるものは上に、下にあるものは下に、右列にあるものは右に、左列にあるものは左に、まんなかはよくわからない。そんなルールで動きまわる神さまの子どもの指先は、円周の開きではなく光の点灯だけを頼りに動きまわり、母親が見せられた診断書には
 右目1.3
 左目0.03 
 と書かれてあった。
 いびつな分厚さのコンタクトレンズを小さなまぶたの隙間に入れられた神さまの子どもは、目の玉は朝につけて夜に取り外すものだと思い、視力の違いであらゆるものが遠くにあると同時に近くにもある二重のぼやけた世界と、朝目覚めてすぐと夜寝る前の光のガシャガシャとした世界の二種類の時間を生き、「よく見えるようになった?」とみんなから言われれば「うん、すごく!」と答えた。
 小学校に上がってからは、ザリガニのジョニー、ハムスターのロンに続いてようやくできた人生三番目の友だちマリーさんの背中をどんなときでもついてまわった。体育館の集会で背の順に並ばなければならないときも、自分の身長が低すぎて身長の高いマリーさんのすぐ後ろに座ることはおろか、列の一番前に座らせられることを知った神さまの子どもは、こっそりとマリーさんを体育館の外に引っ張っていき、プールの手前の体育館の裏手のひまわり畑で、塩素と動物性肥料のにおいにむせながら、ふたりでだんごむしを手のひらいっぱいに拾っていた。
 生き物を飼うことだけは、マリーさんといっしょにいること以外で神さまの子どもがひとりでできることだという印象が、クラスのなかにはあった。あるとき、小学校の砂場で神さまの子どもはマリーさんの作った砂山に、アリジゴクたちを住まわせた。「ケイヤクしてるからだいじょうぶ」と言う神さまの子どもに、マリーさんは自分の三日間かけて作った膝丈ほどもあるすべすべの砂山が、アリジゴクたちにたくさんのすり鉢状の穴を掘られていく様子を、昼休みの三十分間、ずっと眺めていた。
 放課後、神さまの子どもの手を肩に乗せたまま砂場にやって来たマリーさんは、砂山がすっかり跡形もなくなっている代わりに、そこにたくさんのスコップやビー玉や茹でる前のカラフルなマカロニが山となって積まれてあるのを見つけた。学校のみんなが遊びで使ってそのまま無くしたものだった。ふたりはそれらをひとつ残らず抱えて校舎裏の日陰になっている、くもやありやいもりたちの昼寝場所に、まるで濡れたものを干すかのように、ひとつひとつ丁寧な間隔でならべて置き、毎日こっそりとそこへ行っては、家から持ってきたビーズのネックレスや、色を塗ったフィルムケースや、熱帯魚のシールをコレクションに加え、そのまわりを四角く、星のがらのマスキングテープでかこった。夏もいよいよ日差しの角度が高まり、運動場は乾燥して色が抜け、子どもたちがどれも土からうばった色で焦げ茶に染まってきた夏休みの二日目、学校がないのに山の上のまちから降りて行った小学校で、神さまの子どもとマリーさんは、マスキングテープの囲いだけが残された空欄の日陰を見つけた。
「昨日のあれは見間違いじゃなかった!」
 神さまの子どもとマリーさんの交換日記には、いもりを八つ裂きにしなくちゃいけない。そう書かれていた。
 
 
 
 街の博物館の入場者数を、顔も見ず、ただ数えるばかりの仕事をむかしから担ってきたのが、いもりだった。生まれたころはまさか自分が博物館につとめるとは思ってもみなかったから、幼稚園の遠足で博物館に行ったときにも、ブラキオサウルスの骨の首にぶらさがり、二千年前の墓つぼをぺろりとなめ、針葉樹の分布地図を油性マジックで黒く書きかえ塗りつぶすと、階段の手すりを五階から二階まで滑りおり、押せば世界各地の蝉の声が聞こえるボタンをいっせいに押していった。お弁当の時間にはお母さんが入れてくれていたわかさぎのからあげとかにかまだけを食べ、三百円までと決まっているおかしに、生きたおたまじゃくしと冷凍イトミミズを持ってきた。お弁当は屋上のハーブ庭園で食べた。ハーブも三種類かじって枯らした。空はうろこ雲が薄い等高線のように広がり、雨は降らないものの、風がときおり強くふき、遠くの街では薄茶色に汚れた竜巻が起こっていた。屋根瓦が飛び、ねこが高々と巻き上げられ、あらゆる扉は開かなくなり、道路を三本、四本とまたいでいった。飛行機が竜巻を避けて海の方を遠回りした。空港で何便もが並んで順番を待っていた。
 幼稚園の先生たちはすっかりくたびれて、博物館の帰り道、幼稚園児たちが街の歩道で細長く二列に並ぶのを先頭と最後尾で見守りながら、歩を進めながら、うたたねしていた。列が一本にひょろひょろと引き伸ばされはじめ、赤になった信号が列を五本にも六本にも断ち切っていく、博物館に行くときにはいもりと手をつなぎ、帰りもそのように並んで帰らないといけないはずのてんとうむしは、博物館から出てしばらく手をつなぎ、今はてんとうむしの前を歩いている子の背中が、いつもの濡れた黒褐色ではなく、乾燥したベージュ色に変わっているような気がしてしまった。ねえ、いもりくん大丈夫? てんとうむしは言った。
「ちょっとハーブを食べすぎちゃったかもしれない」
 顔の皮膚が硬そうだった。きもちわるいの? てんとうむしがいもりの横にうつり、いもりの手を握った。そのとき、てんとうむしは、いもりの手の握りごこちが、いつもよりも余りあるように思えてきた。踏切を待っているあいだにこっそり目をやると、指が五本もあった。
「どうしたの?」
 いもりの顔を見上げると、いもりの目は黒目が上下にするどい縦長になっていた。いもりは舌で目を器用に舐めた。そんなふうにしているところを見たのははじめてだった。
 このとき、いもりは博物館にもいた。鉱物たちの壁に敷き詰められている部屋のすみからすみまで、光を内側に閉じこめてどこかまっすぐな方向へ引き伸ばしたり、七色にしたりする何百種類もの鉱物たちの輝きを、ひとつひとつ覚えるように見つめていた。まわりに誰も、お客も警備員も受付も館長もいなくなっているのに気づかず、外は夜になり朝になり、ひとりぼっちの博物館で、いのししの剥製や山の木の根っこの模型や津波の実験装置や何トンもの大きさの丸石を吊るして作った時計たちからだけ見つめられる時間は、採掘された場所もたどってきた形もばらばらな鉱物たちの持つ何百種類もの時間と呼応して、ひとつのさびしさが生まれた。それは、部屋のすみにいた。磁石色の体を前後に揺らしながら、いもりの背後に近づき、いもりの体を包みこみ、首元にそっとみずからを注射した。意識にはのぼらなくてもそれ以降のあらゆるいもりの体に居座ることになるそのさびしさは、博物館にいるいもりの体重を空にむかって突き抜けるように蒸発させ、声を溶かし、いもりの魂もろとも、いもりの体を宇宙に映し出した。いもりの魂と体は、宇宙の密度や世界の勾配、分子の流れだけに支えられ、ゆらりゆらりとほこりのように浮かんでいた。
 あたりには星ひとつ見えず、いもりは巨大なヘビガラスについばまれてしまったかのように目も口も耳も足も尾もぼろぼろで、どれだけ図鑑と照らしあわせてみてもいもりだとはわからないくらいに、ちぎれたり、さけたり、ただれたりしていたが、体はみんな数ヶ月もたてば、目のレンズでさえもとの傷がどうであったのか思い出せないほどにきれいさっぱり治ってしまう、しかしいつまでも動こうとしないいもりの体には、遠くからやってきた紫外線や宇宙線や黒板消しクリーナーの音やラジオ放送などといったさまざまな波が浴びせられた。本当ならひとつの銀河から銀河へと、なににもぶつかることなく旅するはずの波たちのほんの一部が、偶然いもりの体にぶつかっては、少しだけ性質を変えて、通り抜けていった。
 そのころになると、地上のいもりは中学生になっていた。親友のイリエワニと数学のあれこれを考えることに熱中していたから授業なんてほとんど聞かず、ふたりで通学路の途中にある田んぼのあぜ道の決まって同じ場所にすわり、毎日繰り返される、稲穂の風に波打つ姿にも、夕陽の切り取る四羽のカラスたちの暗い滑空も、あれだけ好きだったお母さんのお弁当のなかのわかさぎのからあげにさえも目もくれず、お腹がすくと田んぼのなかを泳ぐヒルをひと飲みし、眠くなったらイリエワニと互いの肩にもたれかかって昼寝をしながら、コンビニで買った書きごこちのいい手のひら大のおおきさの手帳と、誕生日にお母さんから買ってもらった黒光りするシャープペンシルで、ひたすら数式を書いていた。
 自転車に乗った、身長の半分ほどもある巨大なサンバイザーをつけた女の人が遠くのあぜ道をでこぼことしながら走り、ラグビー部員が夕方五時になると決まって背中を通り過ぎていく。どうして自分が数学のあれこれについてを考えたいのか、解くのではなく考えていたいのか、そんな風に考えたことは一度たりともないまま、大学を卒業し、小さな会社のプログラマーになったいもりは、ネットゲームの仮想世界に不思議な仕組みの時計と地図を作りはじめた。地図が時計になり、時計が地図になるそのプログラムは、惑星全体を網羅する世界地図でもあった。
 
 @記号としてのゴムと鉄棒とセメントを組みあわせて作った建物に、色彩調整で一息に塗りつぶされた花壇。こじんまりとした木の看板があるだけで、大きな柵もなければ入り口もなく、ひと目見るだけでは単なる開けた土地、これから家でも建つのだろうとしか思えないが、いざ歩いてみると、どこもかしこも歪んでいる。すぐに転んでしまって初めて、そこが世界地図の上だったことに気づく。
 A本当なら球体のものが、平らな地面に映されるためには、土地の草木や建物の配置に染みこんだ声だけでなく、雲の奥にうっすらもやのように銀河の残る秋空もまた、正距方位図法で描かれた惑星全体の「ひずみはあっても世界を切り裂くことのない」地図へと引き下ろされなければならない。
 B水面や鏡を使うのではなくて、生き物の目が空を引きよせる、そうしてはじめて世界地図が描かれる。数えきれないほどの生き物たちの情報が、あらゆる土地から輸入され、世界地図の自然のなかで、できるだけの効率計算のもと、計算できないほどの複雑さの世界を、できるだけ小さく再現する。
 
 そうやっていもりは、ある日突然ネットゲームのサービスが終わり、真っ白な画面にお詫びの言葉だけが表示されるようにまでの四年間、世界地図の完成度をひたすら高めつづけた。四階だてのマンションの小さな部屋に住み、アーモンドほどの大きさの積み木で机の上にイタリアの街をつくり、馬車を走らせ、ベランダで三本のひまわりを育てながら、その茎まわりが鉛筆二本分ほどにも太くなったころには、すでに二十六歳になっていた。
 
 
 自分の子どもが生まれる前の日、いもりはデパートの一角にもうけられた占いのコーナーに来ていた。富士山柄の手ぬぐいで顔を隠した占い師に、自分の妻の手相を見てもらうと、今日が子どもの生まれる前の日であることをあっさりと言いあてられた。さらに占い師は子どもの名前を聞くと、それは字画がだめだと言った。字画をひとつ増やしなさい、来月に生みなさい、家の壁のすみに生みなさい、そうすればあらゆる星はうまくいくだろう。
 いもりは占いを信じずに、子どもはいもりと名づけられ、子のいもりはことごとく不幸になり、生まれる前に死んでしまうものもいた。いもりの子どもの子どもたちは、子どもを生む前の日に、会社帰りの駅前や、スーパーの駐車場、大学の廊下やプラネタリウムの最前列などで、ことごとく占い師に出会い、字画がだめだと何度も言われ、そのうち一匹のいもりの子どもが、これは役所のミスだろうが、誰も本当に変えようというそこまでは踏みこんだ覚えのないまま、名前に一筆「つ」をつけ加えた「やもり」と、いつのまにか名づけられていた。
 それいらい、変わることなく子どもはやもりと名づけられつづけるようになった。百五十年もの歳月が過ぎ、地上のいもりの孫の孫の孫が十歳のとき、七夕のお祭りで幽霊とバッタのお面を買ってくれた母方のおじいさんが、むかし見た夢のはなしをしてくれるのを、やもりはわたあめをかじりながら聞いていた。
 おじいさんは夢のなかでまっくらな世界にいた。数億年ものあいだひとりぼっちで宇宙を漂う、自分とそっくりの形をした、しかしどことなく違ったところもある生き物の体のなかにいた。わたしはその生き物の体から世界を見ていたが、その生き物とわたしは違うらしく、わたしはあの夢の生き物を今では宇宙やもりと呼んでいる。きっと宇宙のいろいろな電磁波や粒子線が浴びせられて、体の形がずれてしまったのだろう。夢がはじまってからも数百万年をひとりですごした。世界は誰も、隕石ひとつ通りかかることがない悲しみに満ちていた。この生き物は電磁波も粒子線も知らなかったから、それらがいくらやってこようともなににも思えないのだった。
 あるとき、開いたままになっていた宇宙やもりの目を通して、宇宙の遠くの方に、ゆっくりと大きくなりつつあるものを見つけた。最初は宇宙やもりの目についたごみや錯覚なのかとも思ったけれども、しだいにそれが、緑色をしていること、そして実際にそこにあるのだということを、わたしが信じられるくらいに大きくなってきた。だんだんとこちらに近づいてきているのかそれとも場所は変わらずに大きく成長しているのか、気づいたときにはすでにその緑色のものは、わたしと宇宙やもりのすぐそばにいて、わたしと宇宙やもりを興味深げに観察していた。それはたくさんのボルボックスで組まれた大艦隊だった。
 そこでおじいさんの夢は終わったが、次の日から孫のやもりは、夜になると、宇宙やもりの夢のつづきを見るようになった。
 やはりそこでもボルボックスの大艦隊は目の前にいて、増えすぎたぶとうのふさのように寄せ集まっていた。その一粒一粒が、ボルボックスにしては信じられないほどに大きく、直径十五センチメートルは少なくともあった。
 半透明な膜の中には、アスコモルフェラたちが一族ごとに乗っていた。ある一族が前方を漂う巨大な怪物のような影を超音波レーダーで発見し、回収してみた。ボルボックスのなかには見た目の何百倍も広々とした空間が畳みこまれていた。全部で二百個の国と、三千の街、五万の畑がもうけられているほどだったが、それでも宇宙やもりはアスコモルフェラたちからすればあまりに大きく、縛りつけられた硬く白い長方形のベッドには、誰もが小学校のグラウンドを八つつなげたような、どこか縮尺の壊れた印象を受けた。
 アスコモルフェラたちは宇宙やもりを何重もの検診にかけた。この個体は本来なら遠い昔にすでに息たえ腐っているはずのものであることがわかった。万が一にも腐ることがなかったとしても、こんなに目立つ死体があれば、宇宙エビたちが宇宙の方々からやってきて群がり、細いはさみでつついて身をほどききってしまうはずだろう。アスコモルフェラたちが、彼らの寿命からすればあまりにも長く、あまりにも無変化な宇宙旅行の退屈さをまぎらわすためにも、目の前の怪物についてを何世代にもわたってあれこれ悩んでいると、宇宙やもりのまぶたがそっと開き、近くにいた一匹のアスコモルフェラに耳打ちした。あまりにもゆっくりとした発音だったから途中で正しく聞き取れているのか自信がないが、たしかこんな風に言った。
「わたしたちは太陽に依存することなく生きていける生きものだ、君の生きてきたところとは違う時間の流れだ。君も同じだ」
 アスコモルフェラは三日三晩、眠っている間でさえも、宇宙やもりに関してを、誰よりも身に迫ったものとして考えこむようになった。これから行く場所は低温だから新陳代謝の速度が遅くてみんな長生きです。宇宙火山の噴き出す熱い空間から得られる栄養を糧に生きるヘイトウシンカイヒバリガイたちは宇宙火山の活動が数十年で終わってしまうかもしれないから惑星に住む貝と同じような速度ですぐに大きくなって子孫を残そうとしますが、基本的には魚なら百四十年、貝なら四百年、サンゴなら四千年も平気で生きます。そんな風にアスコモルフェラたちは学んでここまでやってきた。そのことを怪物はぼくに言っているんだろうか。そんな単純なことなのか。
 もちろん宇宙やもりのなかにいる地上やもりにも、宇宙やもりの体が耳打ちした言葉の指ししめす意図はわからなかった。地上やもりは夢のなかで何度も見るようになってしまったアスコモルフェラたちを図鑑で探したり用水路で探したりしてみたが、顕微鏡に映るのはどれもミドリムシやゾウリムシばかりで、彼らの乗っているボルボックスは見当たらず、肉眼はおろか、生物学の記録のなかでもアスコモルフェラたちは記録すらされていない、その項目だけが器用にぬぐい取られたかのように空白になっていた。
 しかし夢は見つづけている。ぼくはどうしてしまったんだろう、この夢の話をしてくれたおじいちゃんは天ぷら油をかぶって死んでしまった。室内で飼っていたアフリカゾウが煮干しと間違えて食べてしまった。そのころになれば地上のやもりは百五十年もの間に子が子を産んで何千もに増え、家系図はおびただしく枝分かれし、砂山のように崩れやすい三角形を形づくる、そのなかで一匹が死ぬだけでは三角形はすぐに自らを修復する。
 やもりの血はつづき、宇宙やもりの夢も親から子へと引き継がれるだけでなく、会ったことのないいとこからいとこへと引き継がれることさえあった。もはや血のつながりのあることを知らないやもり同士が出会ったときには、互いに宇宙やもりやアスコモルフェラなどについて頭を悩ましていたとしてもそれに気づくことはなかった。やもりはみんな社交的な人々だった。プライベートはあまり表に出すことを好まなかった。けれどもついには、ひいおじいさんの書いた日記のなかにも宇宙やもりという言葉を見つけてしまうやもりがあらわれた。わたしは子どものころから、それがいつなのかはわからないが、自分とそっくりな、しかしどこか違うところのある生き物のなかに入りこんでしまう夢を見てきた。わたしはそれを宇宙やもりと呼んでいる――一族全体がその夢に過去に至るまで覆いつくされていた。家系図を破けばよかったのだろうか? しかし、やもりの好きになる相手はやはり、どこまでいってもやもりばかりなのだ。
 夢のすべてにおいていまだに繰り返される宇宙やもりの観察、どんな時間帯のどんな体調で見たとしても必ず夢のなかで宇宙やもりに耳打ちされることになっているアスコモルフェラのうちの一匹が、宇宙やもりから摂取した細胞をもとに受精卵をいくつか作っていた。これから生まれるのは巨大生物の子どもたちだ、注意して実験にとりかからなければならない。そのような命令のもと、卵は徐々に育てられるが、研究所から家に帰れば、妻からは心配され、親からは不審がられた。近所の人たちに根掘り葉掘り聞かれそうになっていつも大変だよ、いったいなにをしてるんだい?
 何度本当の話をしても信じてはもらえない。子どもだけがゆいいつ話を聞くたびに興奮してくれた。まだ六歳だった。ボルボックスの大艦隊のなかに広がる国々には、宇宙やもりに関しての噂が絶えず、あれは超文明の残した呪術的な力を秘めた遺跡なのだとか、外の世界の有毒なウイルスの培養土になっているから危険だとか、そもそもそんな巨大生物は存在せず、回収騒ぎも遠く離れた街で起こった噂でしかない、この大艦隊での無成果な長旅を理由づけたい上の方のひとたちの陰謀だと言ったりしていたそれでも研究所が卵を孵化させようとしていることは隣のボルボックスにある研究所にさえ表向きには絶対部外秘であり、実際のところどの研究所員も家に帰るたびにこっそりと家族に話していたのだが、それを信じるという意味で知っているものは、この街でも研究者たちの幼い娘や息子くらいしかいなかったため、夢から覚めたやもりたちは、その日じゅうずっと、まるで自分が子どもの空想か、いもしない伝説上の生き物にでも落ちぶれたかのような気持ちでいた。
 しいて言うなら、どのやもりたちも夢のおかげで、幼いころから子どもに親近感を覚え、よく遊んであげたそのさいの笑顔に周囲からは、やもりと言えば子ども好き、いつも庭の排水口のなかからひょっこり子どもの前にあらわれては歓声をあげさせる優しい生き物だ。そんなふうに言ってもらえる。
 
 
 アスコモルフェラの子どもも動物が好きだった。
 三六〇人ほどいる研究所員のひとりが担当する宇宙やもりの卵はそれぞれきっちり二百個と決まっていた。湿度管理されたシャーレのなかで二百個がささやかに脈打っていた。あんなに大きな生き物の卵がこんなに小さくていいのかと、誰もが不安になるほどだったが、宇宙やもりに耳打ちされたアスコモルフェラは、卵が育つあいだも毎日欠かすことなく、今ではすっかり喧騒から離れた様子の宇宙やもりのもとへ足しげく通い、申し訳程度に配置された警備員の目を気にしながら、そっと、自分の何倍もある、宇宙やもりの目の向こうまである口に、自分を近づけた。皮膚のまわりの空気がぬめっているような感じがした。確かに肌は絶えず湿り気のあるように管理されていたけれど、こんなに濡れていていいのだろうか。キキッ、という声がした。端から端までが湾曲しているようにすら見えるほどに広い部屋全体から一直線に響いてくるようだった。
 子どもは毎日眠る前に父親から今日の宇宙やもりの赤んぼうの様子を聞かされた。それまで読み聞かせられていた絵本たちは三ヶ月前に生まれた弟に譲られた。絵本も好きだったけれどお父さんの話の方がへんてこでおもしろい。きっと父親はシャーレのなかの二百匹の宇宙やもりの様子を話す際に、そのすべての親であるところの巨大宇宙やもりから想像したさまざまな作り話を交えて聞かせてやっていたのだろう。そうでなければどうして、毎日宇宙やもりの話をせがんでくる子どもに応えられるほどの言葉が、シャーレのなかで、アスコモルフェラたちからすればあまりにゆっくりと成長する宇宙やもりの赤んぼうから紡がれるようなことがあったのか。小学校に行っているあいだも子どもの目の前は、昨晩聞かされた宇宙やもりの話ばかりで埋めつくされていた。ノートに書く一文字一文字は、授業が終わるころには、いまだ見たことのない宇宙やもりの姿にひとつ残らず変わっていた。
 帰り道、子どもは草むらやキャベツ畑に入っていって、モンシロチョウやショウリョウバッタやてんとうむしを見つけては、頭にかぶっていた黄色い帽子のなかにいれた。家から持ち出した牛乳パックのなかにいれることもあった。牛乳パックにいれるときには、名前のわからないギザギザしたやわらかな葉っぱをいっしょに何枚かいれていた。子どもの家は山の上にあった。小学校は山の下にあった。一時間かけて斜面をのぼり、斜面に這いつくばるように設けられた大きなエレベーターに乗り、ようやく家の近くの公園にたどりついたとき、すでに夕方だった。太陽はどこにもなかったが、山の上の街の端にあるその公園からは、黒い金網越しに景色が一望できた。その見下ろした先にひろがる世界は、赤白い靄に焼けきれていて、重力かなにかのような避けがたい力が、車もビルの灯りも、その力にとっても無意識のうちに、地面の底から操作しているように見えた。
 それは操っているのではなく、操作だった。パチンコ屋があった。野球場があった。大きな川も道のアスファルトで固められた曲線の隙間をぬぐうように流れていたし、街の中心には、草木に足元から高々と持ち上げられ、周囲からひとりだけ高く浮ついている城山もあった。それと比較してすらも、この公園は、自分は、空に近くあった。百貨店の屋上には、百貨店と同じくらいの直径の観覧車が、☆や◇や×のかたちに光っていた。海は遠すぎて見えない、けれどずっと先にあるはずの海の近くには、おばあちゃんが住んでいた。魚をよく釣った。油で揚げてお酢に漬けこんだ。さっきまで自分がいた小学校も見えた。校庭で誰かがまだ遊んでいた。サッカーボールが転がっていく。知っている子かもしれない。誰でもよさそうなくらいにそれは小さい。ぼくかもしれないと、夢を見ていたやもりは思ったのだった。そうだ、あれはぼくだ、間違いなくそうだ、ぼくたちはみんなでひとつの前世の夢を見ていたんだ。
 世界が発信をはじめるこのときにも、てんとうむしは牛乳パックのなかでことごとく死んでいく。マラカスのなかの豆のように内側にぶつかってはカラカラという音が鳴る。モンシロチョウはギザギザのやわらかな葉っぱにこすれて羽の鱗粉がはがれて一生飛べなくなった。牛乳パックには虫たちが呼吸できるようにたくさんの穴が千枚通しであけられていた。その穴から光と世界を見つめたモンシロチョウには穴が何万個にも見えていた。青白い月が街に垂直の高さで浮かび、それが沈むころにようやく、ボルボックスのなかは夜をむかえる。ボルボックスごとに夜は来た、家の庭には封をされた状態の、穴だらけの牛乳パックが積まれていた。まだ生きているものもいるかもしれない。
 父親は疲れ切っていた。研究所から帰るのはいつも夜中だった。しかし宇宙やもりたちも大きくなってきた。おたまじゃくしのようなかたちをした、皮膚の透きとおって内臓の動きが手に取るようにわかる赤ん坊たちは、一匹も死ぬことなく元気に成長し、えさをあげればよく食べ、いびきをかいて眠り、狭いケースのなかではあるものの友達同士でじゃれあったり追いかけあったりしながら、二ヶ月も経てば前肢があらわれ、後肢があらわれ、外えら、尾ひれがなくなった。このころにはもう、親ともさして変わらない姿になっていたが、不思議なことに、何度脱皮を繰り返しても、大きさだけはあの巨大さと似ても似つかない、中学生の男の子くらいの身長で、それ以上はどの個体も成長をやめた。おかげでえさ代も飼育スペースも、なにより間引きする数を最小限に絞ることができると、研究所員たちは喜んだ。
 翌日から、ひとりひとりの担当する宇宙やもりの二百匹中三匹を残して他が、順番に生きたままコンロで蒸され、研究所の裏の川に捨てられた。それは研究所員の人数分つづけられた。そのことは決して子どもには伝えられなかった。子どもの飼っていたマントヒヒが占いを覚え、親戚一同の前で披露した日の晩だ。おじさんに「電線が頭に引っかかります」(三年後おじさんは電気アイロンにつぶされて死んだ)おばあさんに「バトミントンのラケットは冷蔵庫の裏側にありました」(お婆さんの棺にはバトミントン大会のトロフィーが隙間なく敷きつめられていた)などという占いは、酒を飲み交わして大盛り上がりの親戚たちにその場限りで好評だったが、子どもは今、自分の隣で暖かそうに眠っているマントヒヒが、それまで一度も言葉を発したことがなかったにも関わらず、一週間前、公園でいっしょに昼寝をしていたときに、とつぜん寝言のように口にした予言を思い出しながら、ベットに入ってすでに三時間、眠れずにずっと天井を見つめていた。
「あなたにとってそれが目的であったかのような星回りが訪れます。それはベランダです」
 最初は聞き間違いかと思った。でも、そのあとも、普通の言葉のやり取りはできなくても、公園の鳩や道端の植木鉢や散髪屋の看板にまで占いをふっかけていたマントヒヒの姿を見て、こういうことを大人の人たちのあいだでは類まれな才能って言うんだなと、そんなふうに子どもは感心していた。じゃあ、あの最初の占いはなんだったんだろう? 次で何度目になるのかわからないが、網戸越しにベランダの方を見た。夜は真っ赤に染まっていた。夏も終わりに近づき朝晩の冷えこみが草木を焦らせる季節、UFOはやって来る。ベランダの手すりに、誰かが立っていた。いもりだった。それが父親の言う怪物であるとは知らず、宇宙やもりと名づけられているものであるとも知らず、子どもはマントヒヒの予言にそそのかされ、その瞬間だけ、空から降ってきた運命なのだと信じ切ってしまった。
 いもりに手を取られ、二階のベランダから、宙に浮いたまま走っていく。その感激は今や、街にあふれきっていた。たくさんのいもりが、それぞれにアスコモルフェラの子どもを連れて走っていた。それをすべての子どもは互いに見た。あれは誰だろう、見たことのない顔をしている。空と地面のあいだには、街をその影にすっぽりと包みこんでしまうほどに大きな月が、いもりの数だけ浮かんでいた。いもりとアスコモルフェラの子どもたちは徐々に高度をあげ、月に近づいていく軌跡が、引きのばせば何本も街から宇宙の方向へ伸びていこうとする角度で光っている。月の表面には大陸があり、海があり、南極と北極があり、街があった、それは世界を反射しているのだった。二人組がそれぞれの目指す月の表面に吸い込まれてしばらくすると、そこを中心に十字形の切れ目があらわれ、表面がめくれあがり、すべてが裏返って世界を内に納めた月は、新たなボルボックスとして、親のボルボックスのなかから出処のわからない力によって吐き出され、ボルボックスの大艦隊もほかの自分も無視し、どこかへ向かって水中を転がっていく。数えきれない球体が、ひとつの球体を遠く広げていくように放出される。残された親のボルボックスは、日に日に細胞が壊れ、死滅していく。
 そうしてこの世界の最初のいもりの結婚式は、街の3丁目1番地にあるコチコツ池で行われることになった。池には捨てられた亀やブラックバスの幽霊がたくさん住んでいたが、いもりたちをそっと遠くから見つめているだけで、だれひとりとして結婚式に参列してくれることはなかった。いもりは三十年は生きるがアスコモルフェラは三日でおばあさんやおじいさんになって四日で死ぬ、それからの時間を、いもりは一人で生きのびなければならないと、そのときすでに誰もが知っていて黙っていたのかもしれない。
 池のまわりをパトロールするねずみの群れは、今日もあの結婚式の日と変わらずに駆けまわり、池のほとりの二十年も前から傾いたまま停車してある二トントラックの荷台には 東京たこやき 大阪まんじゅう と書かれてある。上から見るとタコの形をしているコチコツ池の八本もある足を、ねずみの群れはごまかすことなく一本一本丁寧にその輪郭を駆けまわる立派なねずみの警察署、その上にも下にも前にも後ろにもしっちゃかめっちゃかに重なったり離れたりする群れのかたちは、池の中心の結婚式会場、水が十メートルも墨のように吹き上げられた先に立つ花嫁や花婿にも、ゆったりと散歩する満腹の宇宙人に見えただろう。

 

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